円明園 えんめいえん~まぁ~っ、一言でいうと何も無い湖のある公園です。でも、実はここは元々清朝時代の庭園であり、フランスのヴェルサイユ宮殿を模倣した庭園があるほどのものでした。しかしアヘン戦争以降、英仏軍によって破壊/略奪され、存在していた建物は崩壊し、現在は壊れた建物の残骸が残っているのみです。しかしその歴史を紐といていくと、そこには数々のドラマが存在しています。(歴史)建設されたのは、清王朝の最盛期、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の時代。(1707~1860)中国史上で最も領土が大きかった時代であり、世界人口1/3を有していた、世界最大の帝国であった時期に建てられたものです。そして、どの皇帝も、紫禁城には住まず、この円明園に住み、政治もここで行われるなど、事実上の、清王朝の中心地でした。世界最大の帝国が、最も繁栄を謳歌した時代に、莫大な費用を投じて造った、世界最大規模の庭園。世界中から集められた宝物が保管され、まさに、清王朝の富と栄華を象徴した建築物だった。しかしながら、行ってみると分かりますが、円明園は、ほんの少し遺骸が残っている以外、何も残っていません。理由は、まず、1860年、英仏軍によって、破壊、略奪されたあと、1900年、義和団事件のときに、再度、ヨーロッパ連合軍により、破壊、略奪され、さらに、その後、軍閥や国民党軍によって、数年間に渡り、徹底的に略奪が繰り返されたためだそうです。 住所 : 北京市海淀区 ~廃墟に見えるけど!!!実は!!~ ~ここも頤和園のように、だだっ広いです。ここにも池はありますが、ただイワエンとはまた違った雰囲気をかもし出しています。私は円明園の池の方が大好きですね。水生植物が池を埋め尽くすほどに生育していてその緑がとても新鮮だからです。足を進めていくと、入場料必要の遺跡を目にします。石柱が倒れそのままの状態になっていますが、その石造りの形からも分かるように、中国古来の建造物とはまた異なる趣をもつ建築物であったことが感じ取られます。このことは裏返せば、いかにその時代において中国が強大な国であり、建築物をまねるだけの財力と権力を備えていたことを示しています。その裏には数々のドラマが存在してます。